ピンクのおまめのひとりごと
ポッとつぶやいたひとりごと、広げてください どこまでも
第一章 Old Black Joe
- Posted at 2012.08.08
- lおまめの日記
↓お買い物はこちらからプリーズ^^
(第二章 お洒落とお菓子と戦争と)
(第三章 黒紫色のキノコ雲)
(第四章 精霊流し)
(第五章 玉音放送と精霊船)
(第六章 闇市はパラダイス)
【 第一章 】
♪ Gone are the days when my heart was young and gay
♪ Gone are my friends from the cotton fields away
「なんなん!?その歌」
「ふふ。これはな、オールドブラックジョーっちゅう歌や」
それは小学3年生の時だった。
母が何気なく口遊んだ歌に私は驚き、思わず尋ねたのだ。
母は長崎県島原市の貧しい漁師町育った。
戦火の激しい時代だったので、
尋常高等小学校もろくすっぽ行ってない自称「無学」の母から、
まさか英語が聞こえてくるとは夢にも思わなかったのだ。
しかも母は原爆を落としたアメリカを心底憎んでいた。
その証拠に、鬼畜米英という言葉をしょっちゅう口にしていたのだ。
「お母ちゃん、なんでそんな歌、知ってるん?」
「ふふふ。
お父ちゃんと一緒になる前に付き合うてた人から教えてもろたんやがな。
京大出のエリートやで。」
「へー!ほんでも、なんでそんなええ人と結婚せんかったん?」
「その人の実家に連れてってもろたんや。岡山やったわ。そしたらな、」
「うんうん、そしたら?」
「家がな、」
「家が?」
「ものすごい立派な家やったんや」
「なんや><そんなオチかいな!
ええやんか、それやったら何も文句ないやろ」
「あるわいな」
「なんやねんな」
「門をくぐってから玄関まで、めちゃめちゃ遠いんや。
ポンポンと踏み石まであったがな」
「カッコいいやん!TVに出てきそうな家やん!何があかんの!?」
「ポンポン石の向こうにはな、うちには面白くない生活が待ってるんや。
うちはそんなん、ごめんや。金くれてもいらん。」
「あ~あ、アホやな。
そんなええ人ふってあんなおっさんと結婚するから、貧乏暮らしせなあかんねん」
「ははは^^その代わり、気楽やがな。
好きな時に笑って歌って。人間、自由なんが一番や」
そう言ってケラケラ笑う母の様子には、後悔の「この字」も見えなかった。
「もしそんな人がお父ちゃんやったら、
リカちゃんハウスの一番上等なやつを
買ってもらえたかもしれんかったのに!」
そう言いたかったが、やめた。
私はポンポン石に後ろ髪を引かれながらも
母の笑顔に何か感じるものがあり、
私はそれ以上、京大出の元彼については聞かなかった。
「その先も歌ってみてーや」
娘に促され、母はカタコトの英語でその先を歌ってくれた。
英語はともかく、母は歌がすこぶる上手かった。
昔々、まだテレビが普及していない時代に、
ラジオののど自慢大会にひっぱり出され、見事優勝したことがあるそうだ。
そのくらい歌が上手いので、アカペラでも楽譜通りに歌いあげてくれた。
そのおかげで私はメロディーを完璧に覚えることができた。
しかし、歌詞がわからない。
ちんぷんかんぷんだ。
「しゃーないな~」
そう言って母はノートにカタカナで歌詞を書いてくれた。
それを見ながら、私は歌ってみた。
「あんた、上手やわ! 覚えもええし、ほんまあんたは賢い子や。」
褒め上手の母におだてられて、私は調子に乗って歌いまくった。
「今の時代はな、学のあるもんしか生き残れんのや。
あんた中学校に入ったら、しっかり英語勉強して
ええ発音で、この歌、うとうて聞かせてや。
それから、うちにも教えてな。」
母は勉強することに対して、とにかく意欲的だった。
それは83歳になる今でも同じだ。
終戦間近になると、もう学校では勉強など教える余裕がなくなり、
生徒たちに竹槍の訓練やケシの栽培ばかりさせていたそうだ。
「そんなことをするために、うちゃ学校へ行っとんたんやなか!」
見事な大阪弁を話す母だけれど、昔のことを話す時には、たまに島原弁が混じった。
母は国語が大好きだったそうだ。
作文で何度も賞を取ったくらい、読むことも書くことも大好きな子供だったので、
そんな勉強も教えてくれない学校に嫌気がさし、学校へ行かなくなったという。
「うちはもっと勉強したかったんや。
アホのニッポンのせいで叶わんかったけど、
あんたは違う。こんな平和な世の中に生まれたんや。
アホのニッポンがまたしょうもない気を起こして
どっかの国に喧嘩ふっかけへんうちに
しっかり勉強しとかんと損やで。」
単純な私は、いつ鉛筆が竹槍に変わるかもしれないという恐怖に駆り立てられ、
がむしゃらに本を読み、貪欲に勉強した。
特に英語を―。
《 続く 》
これは83歳になる私の母の実話です。
波乱万丈の人生を送ってきた母の生涯のほんの一部分を
終戦記念日に合わせて
私なりに纏めて書いてみました。
出来の悪い三文小説と思って、
しばしお付き合いいただければ幸いです^^
(第二章 お洒落とお菓子と戦争と)
(第三章 黒紫色のキノコ雲)
(第四章 精霊流し)
(第五章 玉音放送と精霊船)
(第六章 闇市はパラダイス)
【 第一章 】
♪ Gone are the days when my heart was young and gay
♪ Gone are my friends from the cotton fields away
「なんなん!?その歌」
「ふふ。これはな、オールドブラックジョーっちゅう歌や」
それは小学3年生の時だった。
母が何気なく口遊んだ歌に私は驚き、思わず尋ねたのだ。
母は長崎県島原市の貧しい漁師町育った。
戦火の激しい時代だったので、
尋常高等小学校もろくすっぽ行ってない自称「無学」の母から、
まさか英語が聞こえてくるとは夢にも思わなかったのだ。
しかも母は原爆を落としたアメリカを心底憎んでいた。
その証拠に、鬼畜米英という言葉をしょっちゅう口にしていたのだ。
「お母ちゃん、なんでそんな歌、知ってるん?」
「ふふふ。
お父ちゃんと一緒になる前に付き合うてた人から教えてもろたんやがな。
京大出のエリートやで。」
「へー!ほんでも、なんでそんなええ人と結婚せんかったん?」
「その人の実家に連れてってもろたんや。岡山やったわ。そしたらな、」
「うんうん、そしたら?」
「家がな、」
「家が?」
「ものすごい立派な家やったんや」
「なんや><そんなオチかいな!
ええやんか、それやったら何も文句ないやろ」
「あるわいな」
「なんやねんな」
「門をくぐってから玄関まで、めちゃめちゃ遠いんや。
ポンポンと踏み石まであったがな」
「カッコいいやん!TVに出てきそうな家やん!何があかんの!?」
「ポンポン石の向こうにはな、うちには面白くない生活が待ってるんや。
うちはそんなん、ごめんや。金くれてもいらん。」
「あ~あ、アホやな。
そんなええ人ふってあんなおっさんと結婚するから、貧乏暮らしせなあかんねん」
「ははは^^その代わり、気楽やがな。
好きな時に笑って歌って。人間、自由なんが一番や」
そう言ってケラケラ笑う母の様子には、後悔の「この字」も見えなかった。
「もしそんな人がお父ちゃんやったら、
リカちゃんハウスの一番上等なやつを
買ってもらえたかもしれんかったのに!」
そう言いたかったが、やめた。
私はポンポン石に後ろ髪を引かれながらも
母の笑顔に何か感じるものがあり、
私はそれ以上、京大出の元彼については聞かなかった。
「その先も歌ってみてーや」
娘に促され、母はカタコトの英語でその先を歌ってくれた。
英語はともかく、母は歌がすこぶる上手かった。
昔々、まだテレビが普及していない時代に、
ラジオののど自慢大会にひっぱり出され、見事優勝したことがあるそうだ。
そのくらい歌が上手いので、アカペラでも楽譜通りに歌いあげてくれた。
そのおかげで私はメロディーを完璧に覚えることができた。
しかし、歌詞がわからない。
ちんぷんかんぷんだ。
「しゃーないな~」
そう言って母はノートにカタカナで歌詞を書いてくれた。
それを見ながら、私は歌ってみた。
「あんた、上手やわ! 覚えもええし、ほんまあんたは賢い子や。」
褒め上手の母におだてられて、私は調子に乗って歌いまくった。
「今の時代はな、学のあるもんしか生き残れんのや。
あんた中学校に入ったら、しっかり英語勉強して
ええ発音で、この歌、うとうて聞かせてや。
それから、うちにも教えてな。」
母は勉強することに対して、とにかく意欲的だった。
それは83歳になる今でも同じだ。
終戦間近になると、もう学校では勉強など教える余裕がなくなり、
生徒たちに竹槍の訓練やケシの栽培ばかりさせていたそうだ。
「そんなことをするために、うちゃ学校へ行っとんたんやなか!」
見事な大阪弁を話す母だけれど、昔のことを話す時には、たまに島原弁が混じった。
母は国語が大好きだったそうだ。
作文で何度も賞を取ったくらい、読むことも書くことも大好きな子供だったので、
そんな勉強も教えてくれない学校に嫌気がさし、学校へ行かなくなったという。
「うちはもっと勉強したかったんや。
アホのニッポンのせいで叶わんかったけど、
あんたは違う。こんな平和な世の中に生まれたんや。
アホのニッポンがまたしょうもない気を起こして
どっかの国に喧嘩ふっかけへんうちに
しっかり勉強しとかんと損やで。」
単純な私は、いつ鉛筆が竹槍に変わるかもしれないという恐怖に駆り立てられ、
がむしゃらに本を読み、貪欲に勉強した。
特に英語を―。
《 続く 》
これは83歳になる私の母の実話です。
波乱万丈の人生を送ってきた母の生涯のほんの一部分を
終戦記念日に合わせて
私なりに纏めて書いてみました。
出来の悪い三文小説と思って、
しばしお付き合いいただければ幸いです^^
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Comments
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こ〜んな魅力的なお豆さんを育てられたお母様、今まで断片的にお話をうかがうだけでも、とっても素敵な方なのが伝わってきます。
もう話を聞く事ができない私の母も同じ世代、きっと重なる事も多いかと思いますので、彼女の面影もかってに重ねさせて頂きならがら(^^;)、続きを楽しみに待っておりまする♬
- Posted at 2012.08.09 (08:40) by kopka (URL) | [編集]
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Re: タイトルなし
> わ〜い!お豆かあさんのお話、待ってました!
ははは^^ありがとうございます、kopka姫。
> もう話を聞く事ができない私の母も同じ世代、きっと重なる事も多いかと思いますので、彼女の面影もかってに重ねさせて頂きならがら(^^;)、続きを楽しみに待っておりまする♬
そうなんですね・・(しんみり)
では私も僭越ながら、姫のお母様に思いを馳せながら書いてみることにします。
昨日、ダニエルのセールで男前買いをしたあと、
何気に思い出したんですよ。
「あれ?明日はナガサキの日だっけ?」って。
そういえばヒロシマの日も、今年はオリンピックの影響か
静かに過ぎていきましたよね。
それでふと思い立って、いっちょ書いてみようかな・・みたいなノリで
書き始めたので、
ご覧のように、文はひどいもんです^^;お許しくだされ。
- Posted at 2012.08.09 (09:26) by ピンクのおまめ (URL) | [編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます - Posted at 2012.08.23 (17:08) by () | [編集]